また出ました。
Netflixリミテッド大得意の実録モノ。
これまたアンビリーバブルすぎて、どこの世界の話かと目を疑う実話。
短めの四話にて構成されてますが、題材が題材だけに骨が折れるというかね。
鑑賞が大変な作業なので、精神的な余裕が必要な作品でした。
1989年にセントラルパークで白人女性の強姦致傷事件が起きて、当時パーク内で騒いでいた黒人とラティーノの少年たちが集団検挙されちゃう。
でも、彼らはたまたま同じ時間帯にいただけなのに、当時の差別主義的な警察権力によって強引に加害者に仕立て上げられるというとんでもない話。
暴力と強要による何時間にもわたる尋問で自白させるという横暴な方法によって起訴されてしまうのだ。
しかも、弁護側、検察側、そこにいた誰もが無罪だって理屈では分かり切ってる裁判で、不当にも有罪になってしまうという異常事態。
「世の中、いったいどうなってんだこの野郎!」ってカーッとなりました。
アリスのワンダーランドじゃあるまいし、モノホンの現実かよと。
これが証拠主義の司法システムなのかって話ですよ。
まったくね。
未成年の子供たちを脅し上げて、強引に引き出した供述だけで、合理的な疑いありまくりだろと。
マジで怒りましたよオレは。
今度ばかりはね。
ホントまーね。
なぜか有罪になっちゃって、数年から十年以上の懲役刑に課せられるのだ。
警察も検察もインチキで無責任で呆れ果てる無能さ。
クズすぎ、ゴミすぎ、カスすぎる邪悪なシステムが、少年たちの人生を狂わせる胸糞話でした。
途中でもう意地になって観てましたw
「何がなんでも最後まで見てやるぞこんちきちょー」みたいなねw
意味の分からない責任感みたいな気持ちが生まれちゃったのだ。
この作品が正しい志と意識を持った優れたクリエイターの元で作られて、世界中に知れ渡ったことが最も効果的な社会的復讐ってことになったんじゃないでしょうか。
彼らが犯人に仕立て上げられたと分かるのは、真犯人が分かる2002年というね。
それまでスゲー地獄なんですこのドラマ。
第一話はクソな事件と5人の少年たちの警察での忌まわしい尋問。
第二話はインチキなクソ裁判。
第三話はクソな少年院での日々と出所した4人のその後。これがまた辛いのだ。。。
とんでもなく重要なのは第四話。
これがね、アカデミー賞作品賞みたいな迫力だった。
5人の内唯一成人と見なされて、本気のムショに送られた子の凄絶なムショ暮らしとその果てに訪れる神も腰抜ける奇跡的救済。
彼が過ごした長い間のムショ暮らし。
もはや『ミッドナイト・エクスプレス』『ショーシャンクの空に』なんか目じゃないというか。
それぐらい地獄絵図。
だけど、神は見捨てなかったというね。
泣けますねホント。
独房の狭さや息苦しさなんかがこっちにまで伝わってくるような臨場感も見事だった。
本作は話自体は当事者も関わっている実話モノということで、自由はそこまで利かないので、展開としては実際に忠実な作りになっていると思います。
5人の家族側の苦悩も丹念に描かれて、とんでもなく心が痛くなってくる切なさ。
一番印象に残るのは、やっぱ役者ですね。
出てくる人たちがいちいち説得力が半端ないパフォーマンス。
セントラルパークファイブと言われた5人を表現する若手キャストが迫真の演技で素晴らしかった。
特に5人目の彼はもうね、涙なしには見れないね。
脇を固める名優たちが素晴らしい仕事ぶり。
ウィリアム・サドラーの貫禄の人でなし刑事役。
事件を指揮するフェリシティ・ハフマンなんかは悪魔に魂売り渡してたに違いない憎まれ役で、本当に憎たらしく好演。
検察官役のヴェラ・ファーミガの「無罪だろうけど有罪にしちゃえ!」みたいなヤケクソ感とか最高だったw
ジョン・レグイザモのやるせなさとかマイケル・K・ウィリアムズの悲哀とかジョシュア・ジャクソンの誠実さなんかも沁みるんですよね。
泣けましたマジで。
あと、本作はビジュアルのセンスにおいても表現力豊か。
時々ハッとするようなショットが挿入されて、息を呑んじゃったりすることも付け加えておきます。
『ボクらを見る目』はそんなわけで、もちろん大傑作でした。
ここで描かれてる特定の人たちを貶めるために機能する不当なシステムに対してアナタも激怒しましょう。
ちなみに、鑑賞後には『オプラ・ウィンフリーPresents: 今、ボクらを見る目』を続けて観るともっと深く作品を理解できます。
オプラ・フィンフリーとスタッフ・キャストが作品を語る番組です。
ネトフリはやっぱ気が利いてますなw
では!